привет!プリビエット! marronsky(マロンスキー)です。
カザンから寝台列車で14時間。エカテリンブルクに到着しました。
エカテリンブルク(Екатеринбург)
エカテリーナの名をとって名づけられた街、エカテリンブルク。ウラル山脈の東側に位置し、ヨーロッパとアジアの境界線が走っています。人口約150万人と、ロシアで4番目に人口が多い都市です。
ロシアの初代大統領、エリツィンの出身地でもあります。
エカテリンブルクのみどころ
血の上の聖堂(Храм-на-Крови)
住所:ул. Царская, 10, Екатеринбург, Свердловская обл., 620075
サンクトペテルブルクにある血の上の救世主教会(Спас на Крови)と名前がよく似ていますが、どちらもロシア皇帝が殺された場所に建てられた教会です。
1917年のロシア革命により既に退位していたロマノフ王朝の最後の皇帝ニコライ二世は、1918年、家族とともにエカテリンブルクのこの地に幽閉されました。
当時は、ソヴィエト政府を中心とする社会主義勢力と反革命派による内戦中。反革命派によるニコライ二世奪還を恐れた政府は、秘密裡に皇帝一家を惨殺。遺体は隠ぺいされ、真実は闇の中に葬られました。
そして1977年、ソヴィエト連邦第一書記であったエリツィンにより、証拠隠滅のために建物は取り壊されましたが、彼はロシア連邦大統領になると、皇帝の埋葬命令を出し、さらに2003年に跡地に血の上の聖堂を建てました。
サンクトペテルブルクの血の上の救世主教会は皇帝アレクサンドル二世の暗殺地に建てられたわけですが、ニコライ二世はアレクサンドル二世の孫です。
ロマノフ王朝の終焉の地が、意外にもサンクトペテルブルクでもモスクワでもないことに驚きましたが、悲しい歴史のあった場所は今ではエカテリンブルクを代表する観光地になっています。内部は写真撮影ができませんでしたが、音をたてることがははばかられるような、静か~な雰囲気でした。
エカテリンブルクの街から25km離れた場所にあるガーニナ・ヤマ(Ганина яма)は、惨殺されたニコライ二世一家の遺体が埋められていた場所として、記念碑やロマノフ家の博物館が建てられていますが、今回は時間の関係で行きませんでした。
ブラックチューリップ(Черный тюльпан)
ソビエト・アフガニスタン戦争中に亡くなった兵士を弔う記念碑です。
セバスチャノフの家(Дом Н. И. Севастьянова)
ウラルの鉱山開発で成功したニコライ・セバスチャノフが、19世紀前半に建てた邸宅。エカテリンブルクで最も美しい建物と言われています。
中には入れないので、外から眺めるだけです。
昇天教会(Храм Вознесения Господня)
エカテリンブルクで最古の教会だそうです。ちょうどミサの最中だったので、中に入ることはできませんでした。
青い外壁が美しいのですが…サンクトペテルブルクの教会や宮殿を見慣れてしまっていると、どうしても規模が小さく感じてしまいました。(なんて贅沢。)
エカテリンブルクは、サンクトペテルブルクに比べてとても近代的な街という印象でした。道は広くて綺麗だし、大きなショッピングセンターもあるし、新しそうな建物も多いし。サンクトペテルブルクに立ち並ぶ築100年200年というような建物はあまり見当たりませんでした。
”観光”という観点から言うと、博物館などもいくつかありますが、ロシア語はハードルが高い。それ以外だと、上記からもわかる通り、さらっと見て回るだけのものが多く1日もあれば十分だと思いました。(実際、時間を持て余して、普通に買い物をしてしまったし…。)
最後に、ヒットだったレストラン情報を1つ。
Бургерная "А Ты Где?"
住所:ул. Малышева, 43, Екатеринбург, Свердловская обл., 620075
営業時間:11時~23時
А Ты Где?=「で、君どこにいるの?」 という変わったネーミングのハンバーガー屋さんです。
ヒットの理由は、注文をしてから焼かれるジューシーなお肉と、ふわふわのバンズが美味しいだけではないんです。
生ビール(0.5リットル) RUB89(約135円)~
という、衝撃的な値段です。テラス席で飲んだら最高です。
ハンバーガーはRUB210(約315円)~。
お腹もお財布も大満足なハンバーガー屋さんでした。