だばいちぇロシア

サンクトペテルブルクに駐在する夫に帯同して、初の海外生活。楽しいことも辛いことも、言葉の通じない国での何でも体験記。

サンクトペテルブルクに来たら必見!エカテリーナ宮殿①

 

 

 

привет!プリビエット! marronsky(マロンスキー)です。

 

 

サンクトペテルブルクの郊外、中心部から南に約25kmの場所に「北のベルサイユ」とも言われるエリア、ツァールスコエ・セロー=皇帝の村があります。

 

 

そこに建てられているエカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクを代表する観光地の1つです。

 

 

 

 

エカテリーナ宮殿(Екатерининский дворец)

住所:Садовая ул., 7, Санкт-Петербург, 196601

休館日:火曜

開館時間:10時~16時

入場料:RUB1,500(外国人)

 

 

 

 

エカテリーナ宮殿は世界遺産サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の中の1つ。華やかなロシア帝国時代の面影を色濃く残す宮殿です。

 

 

コロナウィルスの影響で観光客は激減し、さらに今となってはどういう状況になっているかはわからないのですが、かつては夏の観光ピークシーズンになるとチケットを買うだけで6時間待ちなんてこともあったとか?!(その大半は中国人観光客。)

 

 



エカテリーナ宮殿の歴史

名前にもなっているエカテリーナとは、サンクトペテルブルクを創設したピョートル大帝(2番目の)妻、エカテリーナ1世(2代ロシア皇帝のことです。

 

 

1710年。ピョートル大帝は、大北方戦争スウェーデンから奪還した領土の一部をエカテリーナ1世に贈りました。そこに夏の離宮を建てたのが、エカテリーナ宮殿の始まりです。2010年には、ツァールスコエ・セロー300周年記念が祝われました。

 

 

<↓2代皇帝エカテリーナ1世。意外とアジアなお顔です。>

 

 

エカテリーナ1世の死後、彼女の娘・エリザヴェータ(6代ロシア皇帝がこの地を譲り受けます。エリザヴェータは、ロシアを西欧化した父・ピョートル大帝の意思を引き継ぎ、ヨーロッパでの地位をさらに強固なものにしようとしました。

 

 

そこで、即位後の1742年。当時は地味で質素だったこの宮殿を、フランスのヴェルサイユ宮殿にも劣らない豪華絢爛な宮殿にするべく、10年以上に渡る大改築を始めます。この時に現在の水色と白、そして金を使った宮殿に生まれ変わりました。

 

 

その後、エカテリーナ2世(8代ロシア皇帝もこの宮殿を非常に気に入り、改造改築を進め、現在のようになりました。有名な「琥珀の間」が出来上がったのはこの時期です。

 

 

<↓6代皇帝エリザヴェータ>

 

 

ちなみに、エカテリーナ1世は農民の娘であり、堅実で料理上手。

 

 

一方、娘のエリザヴェータは大の洋服好きで、ドレスの数は5,000着以上(一説によると30,000着とも言われています)。政治には興味がなく、借金だらけ。そして肖像画には必ずダイヤモンドが一緒に描かれているのだとか。

 

 

母娘でもこの違いが上の肖像画によく表れていますね。

 

 

325mもある宮殿は1枚の写真には入り切りません。

 

 

エカテリーナ宮殿を見学しよう

まず最初にこの壮大な宮殿を目にすると、あまりの美しさに心が弾む反面、どこからどう見ればいいのかわからなくなる人も多いはずです。まずは宮殿の正面に向かって右側の入口でチケットを見せて入場しましょう。(これは個人で行った場合で、ツアーで行くと別ルートの入口になります。)

 

 

 

 

そして、宮殿の真ん中より左寄りに「вход(入口)」と書かれたドアがあるので、そこから宮殿内に入ります。簡単なセキュリティチェックの先がロビーなので、コートを預けたり、お手洗いに行ったり、オーディオガイドを借りたりするならこちらでどうぞ。(オーディオガイドに日本語はありません。)

 

 



右側に進むと、再度チケットチェックがあるので、そこを通ったら見学スタートです。見学に入る前に靴カバーが置いてあるので必ず装着すること!特に雪道を歩いて来た靴は泥で汚れていますからね。

 

 

 

 

正面階段

ここからはとても分かりやすいルートになっているので、人の流れに任せて見学すれば迷うことも見逃すこともなく周れます。

 

 

 

 

真っ白な大理石の正面階段を上ってまず最初に目に入ってくるのが、繊細な装飾が施された踊り場です。この階段はエカテリーナ2世の時代に完成したそうです。

 

 

 

 

壁際にふと目をやると…日本の陶磁器?!

当時、贈り物として頂いたものは宮殿内に飾るという習慣がありました。ですが、当時の日本は鎖国真っ只中。これはロシア帝国と仲の良かった中国がお土産に持ってきた伊万里焼です。

 

 

 

 

第二次世界大戦の際、このエカテリーナ宮殿は大損壊を受けましたが、調度品の数々は疎開させていたため、当時の本物が残されているのだそうです。

 

 

第二次世界大戦当時の様子は1階に展示されています。

 

 

大広間

エカテリーナ宮殿の最大の見どころの1つですが、見学コースの最初の最初に見ることができます。広さ800㎡以上。宮殿内で一番大きな部屋です。

 

 

チケットを買うのに6時間待ちだった頃は、この広間ぎっしりの観光客でゆっくり見ることも写真を撮ることも難しかったそうですが、marronskyが行った時はタイミングが良かったのか、こんな貸し切りのような写真を撮ることができました。

 

 

 

 

壁一面には金メッキが施された木彫りの彫刻。夏は外の明かりを反射させ、冬や夜になると壁に備え付けられた約700個のキャンドルの明かりを照らします。

 

 

 

 

元々使われていた金は、第二次世界大戦時にドイツ軍が全て剥ぎ取って持って行ってしまったため、修復の際にはこの部屋だけで7kgの純金が使われたそうです。

 

 

 

 

また、この大広間にはある工夫がされています。それは、大きな窓と窓の間に鏡を交互に配置すること。日照時間が圧倒的に少ないロシアでたくさんの明かりを取り入れるためと、無限に続く空間を錯覚させ、部屋をさらに広く見せるためと言われています。

 

 

 

 

大広間から覗く中庭。個人で行くと中庭に入ることは出来ませんが、ツアーで行った時は宮殿内への入口が中庭からでした。

 

 

 

 

 

 

大黒屋 光太夫

突然ですが、大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう)という人物を知っていますか?江戸時代に伊勢で廻船問屋をしていた船頭です。1782年、伊勢から江戸へ向かう途中に漂流し、カムチャッカ半島よりもさらに北西、アラスカにある島(現アメリカ領)に漂着します。

 

 

当時の日本は鎖国中ですから、もちろん海外との交流は一切なく、ロシア帝国に帰国を願い続けます。カムチャッカからシベリアへ渡り、大陸を横断し、実に7年の歳月をかけてサンクトペテルブルクまで辿り着き、そしてエカテリーナ2世への謁見が叶い、帰国を許可されたのが、このエカテリーナ宮殿の大広間です。(日本への帰国は、漂流から約10年後のことでした。)

 

 

そんな時代に日本人がこの場所にいたと思うと、不思議な感覚になりますね。(今でさえチンプンカンプンなロシア語を、その時代にどうやって攻略してコミュニケーションをとっていたのかが、多いに気になります。)

 

 

 

 

長くなってしまったので、次回に続きます。

次は、あの琥珀の間です!