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イルクーツク
3日目。バイカル湖に別れを告げて、車で約1時間でイルクーツクに到着です。
バイカル湖から唯一流れ出るアンガラ川沿いにあるイルクーツク市。奥に見えるのは、川をせき止めるダム?発電所?
「イルクーツク」とは、ブリヤート語で「綺麗な水」を意味する「イルクート」と、「街」を意味する「ツク」が合わさってできた名前。アンガラ川の水は透き通っていました。
バイカル湖のリストビャンカ対岸辺りに広がるロシア連邦ブリヤート共和国にはモンゴル系ブリヤート人が暮らし、元々はモンゴル帝国の領土でした。16~17世紀になると、毛皮を求めてロシア帝国が入植し、イルクーツクを含めた一帯はロシア帝国の一部となりました。
<イルクーツクを創設したコサックの像>
その後、イルクーツクは主に毛皮の集積地として発展しましたが、ロシア帝国はモンゴルを侵攻・征服してもロシア式を押し付けなかったため、この地にはヨーロッパでありつつアジアの匂いを残した独特の文化が残っているのだそうです。
余談ですが、イルクーツクにも住むブリヤート人には蒙古斑があるんだよって、セルゲイさんに言われて初めて知りました。蒙古斑って世界中の赤ちゃんにあるわけではなく、黄色人種や黒人にできるもので、ロシア人(白人)にはほとんど見られないのだそう。そっか、「蒙古」って言っているもんね。
18~19世紀になると、イルクーツクは反乱を起こした貴族や青年将校の流刑地となりました。流刑と言っても、牢屋に入れられるわけではなかったようで(もちろんそのような人も多くいたと思いますが)、彼らのおかげでインテリジェントなものが発展したのだとか。ヨーロッパから遥か遠く離れた辺境の地ですが、ヨーロッパ的でどこか洗練された印象を受けるのは彼らの存在が大きかったからのようです。
イルクーツク駅はかなりレトロでお洒落な佇まい。
川沿いの散歩道から眺めるアンガラ川は素敵。
ちょうど夕暮れの時間。イルクーツクに着いた時点で17時を過ぎてしまっていたので、街には人が少なく、より静かな景色でした。
このボゴヤブレンスキー聖堂。鮮やかな色合いと独特な外観が特徴のロシア正教会ですが、これも流刑されてきたポーランド将校たちの影響が大きいのだとか。宗教が禁止されていたソ連時代はパン工場として利用され、その名残で今も近くにパン工場があります。辺り一帯がいい匂いで包まれていました。
内部はフレスコ画で囲まれた聖堂が素晴らしいらしいのですが、時間が遅かったため、外観のみを見て終了。
そのすぐ近くにあるのはスパスカヤ教会。1710年に建てられた、東シベリアで最も古い石造り教会と言われています。ここも外観だけ。
観光客に優しい街
日本ではあまり知られていないイルクーツクですが、バイカル湖の玄関口ということもあって、多くの観光客が訪れる都市のようです。
あちこちに、地図や標識があったり、記念碑などにはちゃんと説明文の入った看板もあります。
方角がわかりやすい案内表示。もちろん英語表記もされています。サンクトペテルブルクにさえこんな案内版はないのに。イルクーツクの方が圧倒的に進んでいます。
極めつけは、道路に書いてある緑の矢印。これに沿って歩くと、見どころを効率的に見て回れるのだそう。今は雪で見えないけど。
一方で、イルクーツクにはイルクートというイルクーツクを拠点とする航空機メーカーがあります。主な製造品は戦闘機。過去には戦車も作っていたこともあるようで、昔はイルクーツクに外国人が立ち入ることはできなかったそうです。
石川県と姉妹都市
イルクーツク市は1967年に石川県金沢市と姉妹都市を提携しています。
木の下にある石碑には、1997年に友好交流30周年を記念して、と書かれています。これ以外にも、「金沢通り」と名付けられた通りもあるようです。
イルクーツク市の紋章
イルクーツク市の紋章は、虎とビーバーを掛け合わせた架空の生き物です。どうしてこんな動物ができあがったのか?
1700年代、エカテリーナ2世が承認したイルクーツクの紋章に描かれていたのはれっきとした「Бабр(バーブル)=虎」でした。口に加えているのは、高級毛皮の象徴、黒テンです。
1800年代、ロシア各州の紋章の再承認過程で、「Бабр(バーブル)=虎」という説明書きを見たサンクトペテルブルクの役人は、シベリア地方の言葉で「Бабр(バーブル)=虎」という生き物を見たことがありませんでした。これはきっと「бобр(ボーバル)=ビーバー」の間違いだろうと判断し、勝手に修正を加えてしまいました。
そこから何故か芸術家たちは元々の虎に、ビーバーが持つ水かきやふさふさの尻尾を書き加え、この動物ができあがってしまいました。今となってはイルクーツクのシンボルとして愛されています。
アンガラホテル
セルゲイさんにお勧めされるがままに予約しました。ひと昔前にありそうな、超がつくほど大型ホテルです。建物に若干の古さは感じますが、ロビーも部屋も清潔で、立地的にも便利なホテルでした。
ただ、ものすごく謎だったのは、各階のエレベーターホールに受付のようなカウンターがあって、係の人が座っていること。セキュリティ目的かとも思いましたが、警備員のような厳ついおじさんではなく、普通のお姉さん。それなら防犯カメラで事足りる気がするし、レセプション目的なら1階にあるだけで十分なような。ロシアでよく見る、謎な労働ポジションでした。
朝食(バイキング)は野菜がたっぷり。温かいものも豊富でどれも美味しかったです。
バルサミコ酢やオリーブオイルと並んで醤油(一番右)が置いてあったのには、アジアに近づいたことを実感させられました。
4日目
イルクーツク空港へ
セルゲイさんがホテルまでお迎えに来てくれて、イルクーツク空港へ。12:40発なので、空港で一杯飲みながら飛行機を待ちます。
機内食は行きと同じく、パンにパンにケーキにご飯です。
一応ビーフかチキンかを選べます。
そして、2回目の機内食はサンドイッチ。帰りの機内はがらがらだったので、横並びに空いている席でのんびりフライト。
14:15 サンクトペテルブルク空港に到着です。
3泊4日の旅でしたが、ものすごく中身が濃い旅行でした。すべてはセルゲイさんのガイドのおかげです。ありがとうございました。また、「寒い場所には寒い時に行け」と言いますが、まさにその通り。寒いは寒いのですが、興奮もあってかあまり寒さは感じなかったように思います。(持って行ったホッカイロは結局使いませんでした。)
日本ではなかなか出会えない絶景だらけで、すごい!すごい!すごい!の連発。後から振り返ると携帯電話のアルバムには同じような氷の写真だらけなのですが、それだけ感動しっぱなしだったという証拠。ロシアにいる間にバイカル湖を訪れることができて、本当に良かったです。
最後に
実は、この帰りのイルクーツク空港でロシアがウクライナに侵攻したニュースを見て衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。あれから2年。当時はここまで事が長引くとは微塵も思っていませんでした。
再びサンクトペテルブルクを訪れる日が来るのかは不明ですが、サンクトペテルブルクで過ごした2年半は人生の中でも最大の冒険と興奮の日々だったと思います。せっかく必死に覚えたロシア語は忘れ初めている今日この頃ですが、2年半の思い出はこのブログとともにたくさん残せたことを嬉しく思います。
本記事を最後に、このブログは一旦更新を終了いたします。長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。