だばいちぇロシア

サンクトペテルブルクに駐在する夫に帯同して、初の海外生活。楽しいことも辛いことも、言葉の通じない国での何でも体験記。

【サンクトペテルブルク王道観光地】血の上の救世主教会

 

 

 

привет!プリビエット! marronsky(マロンスキー)です。

 

 

 

marronskyの勝手にランキング。

 

 

サンクトペテルブルクに来たら、とりあえずここに行こう(行くことになるだろう)Best3

 

 

エルミタージュ美術館

②血の上の救世主教会

③イサク聖堂

 

 


 

③イサク聖堂からだいぶ経ってしまいましたが、今回は②血の上の救世主教会について。

 

 

血の上の救世主教会(Спас на Крови(スパス ナ クラヴィ)

住所:наб. канала Грибоедова, 2Б, Санкт-Петербург, 191186

営業時間:10時~18時

定休日:水曜日

入場料:RUB350

所要時間:約30分~1時間

 

 

 

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ロシアらしい外観

ロシアと言ったら思い浮かぶような、カラフルな色合いと、玉ねぎ型のドームが特徴的な純ロシア風の教会です。

 

 

その鮮やかさは遠くからも一目瞭然。(脇を流れるグリボエードフ運河は冬は凍ります。)

 

 

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モスクワの聖ワシリー寺院ととてもよく似ていますが、聖ワシリー寺院が建てられたのは1560年。血の上の救世主教会が建てられたのは1907年。350年近くも後のことです。

 

 

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聖ワシリー寺院(モスクワ)

 

 

そもそもサンクトペテルブルクができたのが1703年サンクトペテルブルクを創建したピョートル大帝西欧化を推し進めたため、この地ではヨーロッパの建築様式が主流でした。

 

 

そんな西欧風の街並みの中に建てられた、この純ロシア様式の血の上の救世主教会は、当時も今もひと際目立つ存在です。

 

 

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建設にあたり、各州に寄付が募られました。外壁には、寄付をした130以上もの州の紋章が描かれています。これらの紋章も鮮やかな装飾の1つになっています。

 

 

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建立の歴史・名前の由来

1881年、皇帝アレクサンドル二世が、テロ組織により暗殺されました。皇帝アレクサンドル二世は、農奴制の廃止を始めとした大規模な制度改革を進めた人物ですが、いつの時代も歴史に残る大改革には反対派がいるものですね。

 

 

馬車で冬の宮殿(現:エルミタージュ美術館に帰宅途中、手榴弾を投げられて負傷。その1時間半後に宮殿で息を引き取りました。

 

 

息子・アレクサンドル三世が皇帝になり、”父を弔う教会を”と事件現場に建てたのが血の上の救世主教会です。「血の上の~」なんて名称になっているのは、そのためです。純ロシア風教会の様式をとったのはアレクサンドル三世の意思だそう。

 

 

1883年に着工し、完成したのが1907年。24年もの歳月をかけて建てられましたが、完成した頃には、既に皇帝はアレクサンドル三世からニコライ二世に変わっていました。

 

 

内装も豪華絢爛

内部に入ると、天井も壁もぎっしりのモザイク画で埋め尽くされています。外壁に劣らず、内部もかなり豪華。

 

 

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モザイク画の総面積は、なんと7,000㎡以上。モザイク画の完成だけで12年費やされました。ここまで天井や壁一面をモザイク画で装飾されているのは、ロシア全土を見ても珍しいらしいです。

 

 

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300以上もあるこれらのモザイク画は、聖書の中から悲劇的な題材を中心に描かれています。

 

と言われても、聖書の話には詳しくないのですが、とりあえず雰囲気に圧倒されます。

 

 

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鮮やかな青はコバルトガラスによるもの。寒さの厳しいサンクトペテルブルクでは、油絵や壁画よりも、コバルトガラスによるモザイク画の方が耐久性に優れているそうです。

 

 

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教会の西側は、まさにアレクサンドル二世が致命傷を負った場所で、教会内部に記念碑が建てられています。

 

 

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この教会は、脇を流れるグリボエードフ運河に若干突き出て建てられているのがわかりますか?致命傷を負った地を教会内に収めるために、運河は埋め立てられました。

 

 

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繊細な彫刻が施された祭壇は、木彫りのように見えますが、実は大理石で造られています。

 

 

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壁の下部にはロシア産の蛇紋岩。

 

 

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床は、イタリアから取り寄せられた10種類以上の大理石。

 

 

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キンキラキンのイサク聖堂とは異なり、独特な雰囲気を醸し出している血の上の救世主教会ですが、教会として機能したのはわずかな期間でした。

 

 

ロシア革命後の血の上の救世主教会

1907年に完成した血の上の救世主教会。

1917年ロシア革命を迎えます。宗教を禁止したソ連からは運営資金を止められ、

1930年には閉鎖に追い込まれます。

 

 

その後、解体案が幾度となく持ち上がりますが、第二次世界大戦を迎え、倉庫として使用されるように。さらに、レニングラード包囲戦の間は遺体安置室となりました。

 

 

戦後も倉庫として使用されていましたが、1960年代に「歴史的建造物」として認められ修復作業開始。27年の修復作業を経て、1997年にやっと一般公開されました。

 

 

建築24年に対して、修復が27年です。そして、放置されていた期間は約40年。(そりゃあ、モザイク画も傷みますよね。)教会内部には修復作業の様子もパネル展示されています。

 

 

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修復と言えば…

 

 

 

marronskyがロシアに来た当初、一番高い塔は修復作業中でした。

 

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2019年12月

今年の春にようやくてっぺんが顔を出し…

(夕日に赤く染まる血の上の救世主教会も綺麗です。)

 

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2021年3月

 

ちょうど先月2021年11月に囲いが外れました!

(やっと全体像を見ることができた時の感慨深さよ。)

 

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2021年12月現在



 

 

<おまけ>

 

オーディオガイド:RUB200

日本語があります。イヤホンを2本まで繋げられるので、2人で1台を使うことができます。

 

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2021年12月現在、ワクチン接種済みを証明するQRコード所持者しか入場ができません。

 

 

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(↓レニングラード包囲戦について)