だばいちぇロシア

サンクトペテルブルクに駐在する夫に帯同して、初の海外生活。楽しいことも辛いことも、言葉の通じない国での何でも体験記。

白海に浮かぶソロヴェツキ―島への旅 ③ ~ソロヴェツキ―修道院~

 

 

 

привет!プリビエット! marronsky(マロンスキー)です。

 

 

世界文化遺産に登録されているソロヴェツキ―諸島ですが、ソロヴェツキ―島の中心となっているのがソロヴェツキ―修道院です。

 

ソロヴェツキ―修道院(Соловецкий монастырь)

15世紀後半に建てられた後、徐々に勢力を拡大し、16世紀にはロシア北部におけるロシア正教の中心地となりました。

 

 

創立者の1人はヴァラーム修道院出身の人だそうです。)

 

 

 

 

16世紀後半になると、ロシア正教の聖地として活動する一方で、島の位置的特徴から要塞としても活躍します。スウェーデンやイギリスからの攻撃にも耐え、退却に追い込みました。

 

 

 

 

そして、現在も修道士の方たちが生活をしています。内部は無料で見学することができます。

 

 

 

 

礼拝所?はミサの最中で入ることができませんでした。

 

 

 

 

中に食堂があり、誰でも食事をすることができます。島内にはレストランやカフェがあまりないので、おすすめの食事処です。(トイレもあります!)

 

 

 

 

メニューはホワイトボードに手書き。もちろん英語は通じません。ですが、みんなとても親切で一生懸命説明してくれます。

 

 

 

 

サンクトペテルブルクで美味しい魚を食べる機会がほぼない(生臭いこと多々あり!)ので、海の近くの郊外に行くとよく魚料理を選びます。ここも目の前が海なだけあって(そこで捕れたかはわかりませんが)、とても美味しかったです。

 

 

ピロシキボルシチ白身魚。>

 

 

中庭も穏やかな修道院そのものなのですが、実はソロヴェツキ―修道院には暗い歴史もあるのです。

 

 



強制収容所だったソロヴェツキ―修道院

1917年の十月革命を経てソ連が樹立した後、ソロヴェツキ―修道院は閉鎖されます。そして1923年、ソロヴェツキ―島にソ連初の強制収容所が設立され、修道院はその中枢となりました。

 

 

 

 

ソ連政府に反する思想家や宗教家など、反革命分子とみなされた人が次々と流刑され、強制労働に就かされました。そして、拷問、銃殺、凍死、疫病などで何万という人がここで亡くなりました。現在島内で見られる道路や運河、そして道路脇に建つバラック小屋などは、当時の囚人労働によって作られたものです。

 

 

 

 

第二次世界大戦の直前である1939年フィンランドに近すぎる立地柄とヨーロッパの不安定な情勢により、強制収容所は閉鎖されました。(国内でそんなことをやっている場合じゃないということに気が付いたのでしょうか。戦時中は北方艦隊の基地となりました。)

 

 

500ルーブル紙幣

500ルーブル札にはアルハンゲリスク州が描かれていますが、裏面の絵柄はソロヴェツキ―修道院です。

 

 

 

 

こんな”最果ての地で暗い過去を持つ歴史的な遺産”として紙幣に残されたのかはわかりませんが、白い壁とロシアらしい玉ねぎドーム、そして城塞が周りの豊かな自然の中に美しく溶け込んでいるように思います。

 

 

 

 

修道院のすぐ横にある湖を南へ歩くと、しっかり写真撮影用の台?がありました。ここに上って修道院を見ると、紙幣そっくりの姿を見ることができます。

 

 

 

 

ちなみに、50ルーブル紙幣の絵柄はサンクトペテルブルクです。

 

 

セキルナヤ山

ソロヴェツキ―島で最も標高の高い山です。と言っても、100mしかありませんが。ホテルから島の北部へ車で約30分の距離なので、ホテルでタクシー送迎を頼んで貰いました。

 

 

この島で見る車はどれも旧式。かなりレトロです。未舗装の道路のせいもあり、道中の揺れは半端ない。天井や窓を押さえて体を支えるのに必死でした。(そう言えば車内にプーチンの写真が貼ってあったなぁ。このドライバーさんは今はどんな気持ちでいるのでしょう。)

 

 

 

 

車を降りてから15分ほど歩いて上るとすぐに頂上です。頂上からはソロヴェツキ―島に広がる原生林や湖の美しいパノラマを眺めることができます。

 

 

 

 

ですが、この場所も強制収容所だった場所の一つです。頂上にある教会は、独房として使われていたとか。近くには集団墓地もありましたが、これが作られたのは2006年になってからのこと。それまではどこに遺体が埋めてあるのかさえわからなかったそうです。

 

 

 

 

教会の裏手にあるこの急な階段は…囚人を丸太に縛り付け、294段の階段を転がり落とすという、最も残虐と言われた拷問が行われた場所だそうです…。

 

 

 

 

こういう話はあまり得意ではないので、粛々と見学をして戻りましたが、この周辺一体が重たくて暗くて冷たい空気に包まれているのを感じました。この場で行われていた残虐行為はソ連政府をも驚愕させたと言われています。

 

 

 

 

ソロヴェツキ―修道院ソ連崩壊後から修復が続けられ、今も修復中です。島の人口は夏は約1,200人程度ですが、夏の間だけ修復作業や観光業のために島に滞在する人が多く、冬は半数になるそうです。

 

 

可愛らしいベルーガが暮らす自然豊かな島という一面と、ソ連時代の暗い歴史を併せ持つソロヴェツキ―島。

 

 

はじめは何も知らずにベルーガを見るぞー!と軽い気持ちで訪れましたが、日本にいたらまず訪れることのなかった場所で、ロシアらしいと言うか、興味深い(ある意味、刺激的な)歴史も知ることができました。(最近のニュースでも似たような内容を聞くことがありますね…時代や背景は違いますが、80年近く経った今でも同じようなことが行われているのかと思うと…。)